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補中益気湯

補中益気湯の開発

現在とてもよくつかわれる方剤、補中益気湯が初めて組みたてられたのは、13世紀半ばの中国でのことです。満州族が打ち立てた金王朝は大陸の北方を支配していましたが、さらに北方におこった蒙古(モンゴル帝国)に攻められます。ついに本拠地の満州を失い、都を北京から開封に遷都させました。

しかし、開封にもモンゴル群が押し寄せ、開封はモンゴル軍により包囲されてしまいます。1232年、開封城内に謎の熱病が発生します。当時の医師は熱病に対して、麻黄を使った処方で治療しますが、多くの兵士がそのまま死亡しました。記録によれば2か月間で90万人が死亡したという惨状であったとのことです。その惨状をみていた、金の医師 李東垣(りとうえん)は、これまでの麻黄湯のような外からくる敵に対抗するという発想では、彼らを救えない。極限状態で疲れ切った兵士たちの生命エネルギーを補うためには、消化機能を改善し、生命エネルギーを補う処方が必要と考え、補中益気湯を組み立てました。

人参+黄耆=倦怠感に効く!

補中益気湯は、人参と黄耆を主薬とした処方です。それまでも、人参は滋養強壮に効くということはわかっていましたが、人参+黄耆のコンビネーションで、疲れや倦怠感に対する薬効が増強することが明らかになりました。人参+黄耆の基本骨格をもつ方剤のことをまとめて、参耆剤(じんぎざい)と呼んでおり、現在は10処方程度が参耆剤と呼ばれています。韓国料理では、参鶏湯(サムゲタン)に朝鮮人参とキバナオウギを入れていますが、これも広い意味で生命エネルギーを補う参耆剤です。

チョウセンニンジン(株式会社ツムラ提供)

キバナオウギの畑(写真提供:株式会社ツムラ)

 

また、体の機能を改善するためには、外から来た外敵だけを目標としていては不十分で、エネルギーを補い、抵抗力をつけるという発想が生まれました。今日の免疫学や栄養学、ワクチン、がん免疫療法などの、現代医学につながる発想であったと考えます。

生命エネルギーが低下して、疲れやすい、気力が出ない、体がだるいという症状、昼食後に特に眠気が強い、また、免疫力が低下しており、風邪をひきやすく長引きやすいという症状がある場合、西洋医学的な病気を検索します。これといって病気が見つからない場合に、補中益気湯が有効です。西洋医学的な病気が見つかった場合は、そちらの治療を優先します。

 

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